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対談ゲスト【小池龍平さん】最終話「初期衝動のキャッチボール」

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2020年5月21日

※この対談は2019年夏に行われました。

 

 

 

-目次-

第一話 ごきげん道場って、何?
第二話 「じじいみたい」な話
第三話 「もの選び」と「精神性」
第四話 ひとまず「好き」を大切にしてみる
第五話 そこにしか無いもの
第六話 ART&HUMAN
第七話 「アイデンティティ」と「ごきげん」
最終話 初期衝動のキャッチボール

 

 

最終話 初期衝動のキャッチボール

 

 

 

山) 結局、ごきげんて、そういう「キャッチボールみたいなこと」なのかもしれませんね。

 

 

龍) 確かにそうかもしれないね!

 

 

 

 

山) 動画を観てくれた方が「どえらいもの見つけたぞ」って感じてくれたら嬉しいです。

(リトルテンポの延岡中学校での動画)

それでもっと、みんなでごきげんなアイディアをシェアしながら、「ごきげん道」を極めていきたいなと思ってます。

 

 

龍) さっきも言ったけど、先生がごきげん道とか言い出したのはびっくりしたよ(笑)

 

 

山) 自分でしゃべりたいと思ったことをしゃべると、結果的に「ごきげん」ていうテーマが常に出てくるんですよね。

それがなんか、意外に思う人が多いみたいです・・・(笑)

 

 

龍) 結構普段からしゃべるんですか?

 

 

山) 全然しゃべんないです。

 

 

龍) そうなの!? (笑)

まあそうだよね。俺も雄弁な時もあれば、そうじゃない時もあるからね。結構言われる。

「もっとしゃべんなよ」とか(笑)

 

 

山) (笑)

なんかでも、「しゃべる」とか「おどる」とか「たのしむ」ことって人から言われてやる時の

「違和感」ってあるじゃないですか?

 

 

龍) そうなんだよね~!俺も散々その狭間で生きてきたっていうか。難しいところだよね。

結局それって俺らがね、「自己愛が強い人間」だからな気がするよ。

 

 

 

 

山) うんうん(うなずく)

 

 

龍) だって、「食べろ」と言われるとむしろ「食べたくなくなる」こともあるし「しゃべれ」っていわれるとむしろ

「しゃべりたくなくなる」ことが多い。

 

 

山) あまのじゃくなんですかね (笑)

 

 

龍) だから結局自己愛が強いんだと思います。

 

 

山) (笑)

違う価値観を尊重しつつ、自己愛の強い自分もけっこう好きだったりします。

それはそれでいいかなと思っています。

 

 

龍) そうやって生きてきたから今更それを無理に変えなくていいのかなと思うけどね。

 

 

山) そうですね

 

 

龍) 柔軟さを求めるとしたら違う所なのかなって・・・

 

 

山) う〜ん・・・(少し考える)

柔軟になれるのは、自分の本質以外の部分かなと思います。

柔軟さの中に、絶対にぶれない核があって、柔らかいけど折れないでいれる状態が理想なのかな~って。

 

 

龍) うん。たいがいの事ってどうでもいい気がするんだよね。

俺は多方面にすごいこだわりはあるけど、本当はどうでもいいっていうか。

俺、自分の荷物がものすごく多いんだけど・・・。

 

 

山) はい。

 

 

龍) 機材関係の仕事道具が多いんだけどさ。引っ越しの時は、2トントラック2往復くらいしたし・・・。

 

 

山) すごいですね(笑)

 

 

龍) さっきのスピーカーの話もそうだけど、好きという気持ちは捨てられないんだよ・・・。

でも物は「いつか」なくなっていくから、それを寂しいと思いつつ、離れられる自分でいたいよね。

楽器の話になっちゃうけど、フィジカルって40代50代でもまだ伸びしろはあると思うんだ。

 

 

 

 

山) 楽器のフィジカル?

 

 

龍) 演奏の仕方とか、スキルとかね。

 

 

山) ああ~!

 

 

龍) だけど同時に精神性も伴っていかなきゃいけないと思う。

フィジカルの伸びしろは限られているけど、精神性は一生かけて伸ばしていけると思うから。

60、70になっても音楽をやっている人はそこに「想い」があってやっていると思うよ。

そうなると音楽は一生かけてやっていけるんだよね。明らかに肉体は衰えていくわけじゃないですか。

その時にやっぱり、肉体だけに頼っていたら、すごい寂しくなっちゃうんだろうね。

だから、肉体と精神性を同時に育んでいきたいです。

 

 

山) うん。

 

 

龍) それで、飯食っていくためにはやっぱり体力って絶対的に必要だけど、

ただ運動するっていうよりも、さっき言った精神性みたいなことも含めて、

40くらいになってからは運動の目的自体が変わってきましたね。

 

 

山) 素晴らしい考え方ですね。

 

 

龍) 先生のパーソナルトレーニングも一度受けてみたいですよ。

 

 

山) ありがとうございます。最近はご相談を頂く機会も多くて。

僕が対応できる範囲で例えどんな困難な状況や悩みを抱えている方でも受け入れる準備をしています。

 

 

龍) へえ〜。なんかパーソナルトレーニングも色々なドラマがありそうだねえ。

 

 

山) ほんと、ドラマでしかないです。僕のパーソナルトレーニングもいわゆる

「結果とかフィジカルだけ」を最終目標に置いてないので、それは通過点であったり、手段として向き合う。

それを実現させた先に、「わたしはどう在りたい」というのを、

時には一緒に泣きながら突き詰めていくこともありました(笑)

 

 

 

 

龍) うお〜。凄すぎるねそれ(笑)

 

 

山) まあ、それは極端な例ですけど(笑)僕も一緒に泣くこともありました(笑)

でも、それがあるからこそ、最も近い目標へ向けて、ブレずに「ひた走れる」のかなと。

 

 

龍) すごい世界だね。めちゃ興味深いですよ。

 

 

山) 世の中には、色んな苦悩を抱えている方が本当に多いと感じます。

それを誰にも言えなかったりするわけですけど、色々なご縁で僕のパーソナルトレーニングを、

乗り越えるための手段として選んできてくれたりもするんですね。

 

 

龍) う〜ん。それは大切な事だね。

 

 

山) コンプレックスであったり、病であったり、様々な悲しみであったり。

本当の意味で「ごきげんになっていくためのトレーニング」を追求していくとなると、

どうしてもそうしたテーマを避けて通れない時があります。

それを共有しないこともできるんですが、そうするとフィジカル的な目標が「ゴール」になります。

 

 

龍) うん。

 

 

山) 日本だとどうしても、タブーとされがちな、そうしたメンタル的な課題を、

何とか乗り越えようとしている人がもの凄く多くいらっしゃると実感しています。

なので、こちらから深掘りすることは無いですが、時と場合に応じ、そうした対話をすることもありますね。

 

 

龍) なるほどね。

 

 

山) 僕もブラジル修行時代、一度命の危機を体験しました。

 

 

龍) え?

 

 

山) 朝、バスを待ってたら、銃を持った3人組に襲撃されたんです。

その時は回送バスが突撃してきてくれて助かったんですけど。

「自分は生かされているんだな」と強く実感しました。

それからは、死は常に「生の次の瞬間」にあるんだなあと思っています。

そうした感覚が今も強く根付いているから、

毎朝起きた時に「自分は生きているか?」「自分はごきげんなのか?」って感じることを大切にしているんです。

 

 

 

 

龍) う〜ん。なるほど。一日単位だね。

 

 

山) はい。だからこそ、今のようなスタジオの形があるのかもしれないです。

とは言え、普段のトレーニング中の会話の9割はふざけてますけど。(笑)

 

 

龍) そうなんだ (笑)

 

 

山) おいしいご飯の話とか、どこどこへ行った話、男性のお客さんだったらオネエチャンがどうとか・・・。

 

 

龍) はっはっは!そうなんだ (笑)

 

 

山) 9割世間話でもいいけど、1割の本質に蓋をしたくないんです。

 

 

龍) 鍼とかもそうだけど、ああいうパーソナルな時間て、他の生活ではなかなかない状況だよね。

かかりつけの鍼の先生がいるんだけど、彼とパーソナルなことを話して、改めて気づくことが多いんですよ。

だから先生のキッズカポエイラのイベントを観た時もそうだったね。

皆スマホを観ないで、子どもたちの動きをひたすら肉眼で追う時間て、他では無かったからすごくよかったですよ。

 

 

山) それは良かったです!

 

 

龍) 子供達の表情の変化とかもすっごく面白いですよね。短い時間の中にドラマがあるっていうか。

喧嘩した子達の和解もありましたよね。

 

 

山) 感動的でしたね。結局大人がどうこう言ったり、「謝りなさい」と言葉で叱る以外にも、

「なぜかよくわからないけど、気づいたらうまくいっている」という状況をつくってあげたいんです。

その為の道筋を、選択肢をいくつか見せてあげて選ばせることしか、僕はできないんじゃないかなと。

左行ってもいいし、右いってもいい。でも、実はど真ん中もあるぞみたいな。逆もまた然りで。

 

 

 

 

龍) イケてると思いますよ!先生は子供に対して、良い意味で何も言わないじゃん。

もっと仲良くやれとか。やりたいようにやらせるっていうか。

で、結果的にみんなどんどん仲良くなっていって。やっぱり、大概のことはどうでも良いっていうのは、

子供の事にも当てはまるんだけど。本当にやっちゃいけないことなんて、そもそもほとんどないからさ。

大概は黙っていても平気。彼らも自分達で解決できる能力を持っているから、そこを信じてあげなきゃだめだなって。

それは先生のやり方を見て学びました。

 

 

山) 本当ですか?嬉しいです。

 

 

龍) どんなに小さいこどもでも、本当は「自らごきげんになっていく方法」

を知っているんじゃないかなあと思いますね。

 

 

山) 今、様々な事が「効率化」されてきて、僕らの頭の中に無意識で「いかに速く」「いかに無駄なく」

みたいな外向きの思考が増えている気がするんです。

 

 

すると、最も人間的な内側の「衝動」は淘汰されます。

 

 

その結果、無意識に選択肢が限られてしまっていたりする。

 

 

そして、ごきげんの素である「あそび」が無くなります。

 

 

でも、逆に時間をかけたり、回り道をしなければ成り立たないことってたくさんある気がします。

それには、心も体も「余白」が必要で、「初期衝動のキャッチボール」で「誰か」と「心と体のあそび」を

引き出し合うことが不可欠なのかなって、今日お話させて頂いて感じました。

 

 

誰かをごきげんに「する」っていうのは、突き詰めていくと不可能で、あくまで一人一人、

「自分」がごきげんに「なる」。

そのスタンスでいられると、こどもに対してや人に対して、寛容でいられるんです。

 

 

そのためには、音楽でも、運動でも、「こども」や「大切な人」や「自分自身」とゆっくり向き合う時間を

定期的に持って、一人一人が「自分の初期衝動」を忘れずにいられることが不可欠なのかなと感じています。

それで効率が求められる、厳しい日々の中でもなんとか、みんなで「ごきげん道」を極めていけたらと思っています!

 

 

龍) 本当にそうですね!

 

 

山) 龍平さん、今日はお忙しい中ありがとうございました!

 

 

龍) こちらこそありがとうございました!

 

 

二人) (握手)

 

 

 

 

おしまいです。

 

 

Special thanks
小池龍平様
カフェ アンティグア様
Music lovers,
Sport lovers,
my friends and my Family.

 

 

この対談は2019年夏に行われました。なかなか執筆が進まず、もがいた時期もありましたが、

様々な方の励ましを頂き、慣れない編集作業をやり抜けました。

今、コロナでご尽力されている全ての方へ感謝申し上げます。

また不安や悲しみの中にある方のお力に、少しでもなれたら嬉しいです。

拙い文章を、最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

 

ナヴィーオ代表 山崎

 

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