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「必死さ」のメリットとデメリット

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2020年3月5日

娘をベビーカーに乗せ、薬局へ出かけた。

紙製品の前には人の列ができていた。

陳列されたトイレットペーパーに手を伸ばそうとし、

ベビーカーをほんのちょっとだけ停車させた。

すると後方から「ちょっと!邪魔じゃない!」と怒鳴られ、

もの凄い剣幕で睨まれてしまった。

私達の後ろに並んでいた人の、手を伸ばすスペースをほんの数秒妨げたようだ。

極端に道を塞いだわけではない(むしろ繊細に気を遣われたポジショニングの)

娘の乗ったベビーカーが邪魔だったらしい。

今、何かがおかしくなっている。本質以外のどこかの領域で。

 

 

 

僕は怒られることには慣れている。だからそこで睨み返したり怒鳴ったりはしない。

しかし一般的に考えると、そこでそうしてもおかしくはないし、

そうしてしまう気持ちもわかる。もしそうなったら、喧嘩になるだろう。

負の循環が増幅し、より生きづらい社会に拍車をかけるだろう。

僕の頭の中には「仮にトイレットペーパーが無くなっても当面は大丈夫」という考えがある。

ご近所とシェアする道もある、いざとなれば、ボロ布を使いまわすことだってできる。

だからトイレットペーパーをゲットする行為に対する「必死さ」が無い。

 

 

 

「必死」という姿勢にはリスクがあると思う。

僕がブラジルで暮らしていた時、友達がファベーラ(スラム街)に住んでいた。

彼は「必死に」生きていた。物乞いをし、金を乞い、観光客に恐怖を与えていた。

しかし「必死になる」という姿勢が、彼の「何とか生きる選択」のようにも見えた。

僕にとっては彼が「本来は」心優しい青年だという事を、

カポエイラを通じ腹を割って話し合っていたからこそ、

理解ができたが、普通の人だったら関わることを避けただろう。

それほど、必死さには「何とか生きる力」を引き出す作用と、

「人を傷付ける可能性」という副作用を含んでいるように思う。

 

 

 

自分が「必死になるべき時」は、今だろうか?

出産、育児、病気、貧困・・・。全て、命掛けだ。

本当に「それ」を必要としている人に「それ」が届く社会であってほしい。

自分が「必死になるべき時」は、今だろうか?

という問いは、常にちょっとは持っておくことは大切な事だと感じた。

 

 

「自分(達)だけでなんとかする」を辞めよう。

ご近所や友達と、挨拶したり世間話をしよう。

それだけで「独占」ではなく、

今まで気づいていなかっただけの「共存」の道が見えてくる。

 

 

ナヴィーオ代表 山崎

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