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誰もが、異文化。 ~かぽえいらであそぼうvol.5を終えて〜

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2020年2月13日

火曜日に「かぽえいらであそぼうvol.5」が開催されました。参加されましたこどもたち、保護者の皆様、大変お疲れ様でした!私もとても楽しかったです。当日の朝、車を運転している時に流山から富士山が見えたんです。雲一つない青空だったからこそ、本当は普段から絶えず、人知れず常にそこにある、富士山の姿に気づくことができたのだと思います。

 

 

 

火曜日は、何と言っても野田や松戸からわざわざお越し頂いた方がいたり、はじめて参加された方が多くいたりと、有難い事が多かったです。本当にありがとうございました。はじめての場へ行くということは、大人でも怖いことですから、こどもにとっては、もっとこわいことなんじゃないかな。しかし、大号泣してしまう子がいることもなく、怪我も無くイベントを終えられたのは、保護者の皆様が、我が子以外のこどもたちと積極的にコンタクトを図ってくれたことによる影響と、こどもたちがチャレンジした結果だと思いました。

 

 

「運動を通じ、日常をデザインする。」というコンセプトを掲げ、このスタジオを立ち上げました。その意味とは何か?僕も時々迷って、分からなくなる時があり、悩むこともあります。ダイエットに成功したらゴールなのか。技を極めたらゴールなのか。ベンチプレスの自己記録を更新したらゴールなのか。僕自身全てチャレンジしてきたからこそ、その全てが尊いことだということを知った上で、そのどれもが、その意味とは何か?という問いを満たしてくれることはありませんでした。「なにかを上手にやろうとすること」「強くなろうとすること」「美しくなろうとすること」を最終目的地にしたり、それを「誰かに強いること」で得られることには必ず限界があるように思うようになったのです。

 

 

 

日常の中には、必ず人との繋がりがあります。親子、恋人、師弟関係、友人。そこにいるのは、いつも「自分」と「誰か」です。日常をデザインするということは、その「自分と誰かの中」で、「自分と誰かのごきげん」を「自分(たち)でデザインしていく」ことなのかなと、今では思っています。強くなっても、美しくなっても、技を極めても、世界に自分一人しかいなくなってしまったとしたら、全て何の意味も持たなくなってしまうのではないだろうか。

 

 

思えば、親も子も、男も女も、上司も部下も、大小様々たくさんの異なる文化の中で生きているのではないかな。全ての人が「異文化の中で暮らしている」という前提を心の片隅に置いておけば、辛い時や、分かり合えないと感じた時、人間関係で悩んだ時、「誰かを知ろうとすること」がちょっと面白くなると感じます。今回のイベントを通じ、初対面のこども同士、初対面の大人同士、こどもと大人同士がコミュニケーションを図り、一緒にごきげんな場を創造することの価値を、改めて感じました。我が子も、よその子も、大好きなあいつも、大嫌いなそいつも、誰もが「異人」。だからこそ、自分を知るため、そして誰かを知ろうとするためのトレーニングを、これからも追求していきたいです。

 

 

心のご来光は、いつも変わらずそこにある。見えなくするのは、自分自身の迷いと疑い。

 

 

ナヴィーオ代表 山崎

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