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無邪気な刃と悪態の効能

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2019年5月25日

もし、自分の子供が非行に走ってしまったらどうしよう。もし、自分の子供が過ちを犯してしまったらどうしよう。親として、それは「絶対に無い」と言い切れる日は来るだろうか?親として、誰しも折に触れ、そんな不安を抱く瞬間があるかもしれない。子供だけではない。もし仮に、大切な人が過ちを犯してしまいそうになったらどうしよう。もし仮に自分が過ちを犯してしまいそうになったらどうしよう。ニュースの中では毎日、望んでいないはずの事態が、誰にも望まれずにそこらじゅうで起きている。あらゆる人災や非行は、起きてしまった後であらゆる面でのその重大さに気づく。我々の想像力は欠落し始めているのかもしれない。それか「全てが満たされている状態」に慣れすぎているのかもしれない。はたまた、満たされているようで実は何かが全く不足しているのかもしれない。なんとか人災、非行を防げないだろうか?「大切に想う気落ち」は時に我々を苦しめる。

 

 

 

今週は、言葉の刃と向き合う機会が多かったので、今日はそれについて考えてみよう。子供のクラスを見ていると、よくトラブルや予期せぬ事態が発生する。昨日、キッズクラスの最中に喧嘩が勃発した。一人の子供がもう一人の子供に一方的に攻撃的な「無邪気な刃」を向けてしまった。誰が聞いても不快になる言葉だ。子供は邪気なく刃を向けてしまうことがある。原因はボールの取り合いだ。それ自体は単純なことだ。子供が悪さを覚え汚い言葉を使うようになったら大人はどうすべきか。もし仮に子供が「死ね」などと平気で言う状況に直面したらそれをただ抑圧すべきだろうか?単に悪態を押さえつけ、力づくで禁止することに、本質的な効果があるとは僕は思わない。彼らはなんとか膿を出そうともがいているのだ。子供は無邪気にナイフをつきつける。悪態はストレスを和らげるからだ。なぜナイフが必要なのか知ろうとすることが大人の役割ではないだろうか。

 

 

 

「健康のために、酒もたばこも女もグルメもやめた男がいる。どうなったかって?あっというまに自殺したよ。」(ジョニー・カーソン、コメディアン・作家・プロデューサー)世の中には使い方を誤ると「悪いとされる行為」がある。悪態と呼ばれるようなことだ。しかし心理学の研究では悪態には効能があり、悪態にはストレスレベルを引き下げるという確かな結果が確認されている。つまり人が悪態をつくのは、一人一人違いはあれど、ストレスレベルが容量を超え、それを下げようとするから悪態をつくのであるという考え方だ。つまり悪態そのものが本質的、絶対的な悪ではなくストレスレベルのキャパオーバーが問題なのである。

 

 

 

さて子供はどうだろう?大人であれば自分のストレスレベルを認知し、管理しようとすることができる。しかし子供はほんのちょっとのストレスだけで、人を傷つけるくらいの悪態を取ってしまうこともある。汚い言葉を発したとしても本当にそう思っているわけではない。ただ単純に言葉と感情をまだうまく結びつけられないだけなのだ。なぜなら他の手段やそれに変わる言葉を知らないからだ。ナイフを使うしか無いと思い込んでいる子供がいたら、まずは、はさみの使い方を教えてあげる。はさみが無くても、手だって立派な道具になるんだよと教えてあげる。少しいびつになるかもしれないけれど、手で紙を切ることもできる。ナイフで切った紙と違い、その切り口には温かみがあることを教えてあげる。

 

 

 

大人ができることはなんだろう?子供が自分らしく成長するためには、そういう言葉のボキャブラリーを教えていくことも一つの選択肢かもしれない。そのためには我々一人一人がまずは自分の感情と言葉をうまく結びつけていく訓練をしなければいけない。日本語ってとっても素敵な言語だと、僕は思うんです。道具の使い方を教えるのも別の選択肢になり得るね。ナイフでなければいけないのか?はさみはどうだろう?そもそも手だって立派な道具だよ。便利な時代だからこそ自分の体自体が道具なんだよと教えてあげることもとても大切だと思う。そのためにトレーニングや体操が必要なのではないだろうか。言葉の使い方と体の使い方を通じて、感情と向き合っていく。誰かを傷つけるから、自分とは関係無いから、という理由で「真剣を抜かない」という選択をするのではなく、覚悟があるからこそ、僕は「心の真剣を抜く」のです。自分の感情を伝えようとすれば、それが受け取る誰かを傷つけているかもしれない。それは承知しています。僕は伝え方が下手くそです、だからこそ僕は言葉にするのです。ごめんなさい、そしていつもありがとうございます。

 

 

 

誰の心の中にも「子供の部分」がある。誰の地位や名声の中にも「弱く小さな部分」がある。全ての弱さ、子供のような小さな自分は「安らげる場所」を探している。

 

 

 

ps

この前こう聞かれました。

Q.「山崎さんはいつもそんなことを考えているのですか?」

A.  違います。たいていは「今日は何を食べるか?」考えています(^^♪

 

「今日何食べよ」と思えたら、あなたは健康です。

 

ナヴィーオ代表 山崎

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