2017年12月29日
コンプレックスはどこから来てどこへ行く
日本語でコンプレックスと言うと「劣等感」という意味が連想されやすい。例えば、「身長が低いことにコンプレックスを持っている」とか「体型にコンプレックスを持っている」など。この記事では日本的な意味としてコンプレックスを扱っていく。しかし、英語のcomplexとかドイツ語のkomplexという単語には、「複雑な」とか「複合観念」という意味がある。つまりコンプレックスをよりよく理解していくためには、「なに」が「どのように」作用してその「複雑な劣等感情」を生みだしているのか掘り下げていくことが重要だ。
話は変わるが、私は学生時代、身体的なコンプレックスだらけの人間だった。学校ではかけっこが遅く、体が細かった。それらを嘆いたり、悲観してばかりだった。すると毎日がつまらなくなっていき、消極的になっていった。しかし今となっては笑い話になった。あれ?と不思議に思うかもしれない。皆さんも「昔コンプレックスだったことが笑い話に変わった」という経験は無いだろうか?僕は、当時絶望するほどの精神的苦痛となっていたコンプレックスを、今では笑えている。しかし私は今も体が細いし、純粋なかけっこは遅い。そう、「事実」は今も変わっていない。つまり、事実は存続しているけれど、事実の捉え方が変わったのだ。
無意識とコンプレックス
さすがに30を過ぎて「かけっこが遅い」と毎日絶望する人はなかなかいないだろう。いたら、ちょっと驚きだ。そういう意味では、加齢と共にコンプレックスは風化すると言えるかもしれない。しかし自然に風化しない可能性も僕は大いにあると思う。実際に、コーチングをしていると、目標が達成できない原因の一つに、無意識のコンプレックスが影響していることがある。コンプレックスが無意識の中に一生残って、それが生涯、自分の価値観や進路にブレーキをかけ続けるとしたら、どんなに残念なことだろうか。
学生時代の私のケースでもそうだし、多くの場合、コンプレックスは外見、能力、家庭環境などの要素の他者との比較により無意識の中で創り出される。そう、自ら無意識に自分と他者を比較し、優劣をつけているのだ。コンプレックスと上手に付き合っている人は、加齢と共にコンプレックスが風化したか、コンプレックスを意識レベルに引っ張り上げ、ポジティブに変換しているのだと思う。
コンプレックスと笑いの関係
一見ネガティブなことをポジティブに変換することにおいて、お笑い芸人ほど長けている人種はいないと思う。お笑いのセオリーで「緊張と緩和」という考え方がある。今では年末の風物詩となった「笑ってはいけないシリーズ」をご存知だろうか?笑わされたらバツゲームという緊張の中で、参加者は様々なコントに笑わずに耐えなければいけないのだが、緊迫した状況の中でのコントが緩和剤となり、笑わずにはいられない。
こう考えられないだろうか。
緊張+緩和=笑い
こう言い換えることもできるかもしれない。
緊張=笑いの振り
緊張が笑いの振りなんだと思うとなんだか頑張れる気がする。コンプレックスを感じている状態というのも、一種の脳の過緊張状態だと思う。さて、問題は自分にとっての緩和剤とは何か?それは教科書には載っていない。コンプレックスという緊張材料をどうやって笑いに変えようか?価値観を変えていっそ諦めてみる?それともおもいっきり努力して克服する?いずれにしても、自分と一所懸命向き合い続ければ、コンプレックスという感情が自分の最高の相方になってくれる可能性はあると思う。また、そうした経験をした人を見ると、どこか清々しく、まっすぐな印象を受ける。
ナヴィーオ代表
山崎
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