2025年12月24日
成果指標を「感覚」に置いてみたら、世界との関係が整った
──運動指導の現場から見えてきたこと
「いい姿勢で立ちましょう」
そう言われて、
楽になった人を、僕はあまり見たことがない。
多くの場合、人は
背筋を伸ばし、胸を張り、どこかを固める。
その瞬間、呼吸は浅くなり、身体は緊張する。
もしそれが「正しい姿勢」だとしたら、
姿勢とはずいぶん息苦しいものだ。
姿勢とは「形」ではなく「関係性」
運動指導の現場に立つようになって、
僕の中で姿勢の定義は大きく変わった。
姿勢とは、身体の形ではない。
自分の身体と、地面との関係性だ。
どこで体重を受け取り、
どこを信頼し、
どこまでを自分で引き受けているのか。
姿勢は、
その人が世界とどう関わっているかを、
言葉より正確に表している。
地面を信頼できない身体
地面との関係性が崩れている人の身体には、共通点がある。
- 常にどこかに力が入っている
- 脚や腰で踏ん張り続けている
- 呼吸が浅い
- すぐに疲れる
- 休むのが苦手
だから僕は、指導の最初にこう言う。
「背筋は伸ばさなくていいです」
「踏ん張らなくていいですよ」
「体重を、床に置くだけで大丈夫です」
多くの人は、その言葉を聞いた瞬間、
少し不安そうな顔をする。
支えるのをやめるのは、怖い。
それはきっと、身体だけの話じゃない。
姿勢が変わる“瞬間”
床に足を置き、
体重を預け、
力を抜いたとき。
ふっと、呼吸が入る瞬間がある。
僕はその時、こう声をかける。
「今、ちょっと楽になりましたね」
「それが合っているサインです」
ここでは
「できた」「できていない」は関係ない。
- 楽になったか
- 呼吸が入ったか
- 視野が広がったか
それだけを大事にする。
姿勢が整うと、何が起きるのか
不思議なことに、
身体が安定すると、人は急がなくなる。
- 動きを急がない
- 判断を急がない
- 正解を探さなくなる
そして、こういう言葉が自然に出てくる。
「これでいいんですね」
「頑張らなくても、立ててます」
姿勢が整うとは、
全部を自分で支えなくていいと、身体が理解すること。
人生の姿勢は、身体から始まっている
人生の姿勢とは、
- どこまで自分で背負うか
- いつ力を抜くか
- どこで人や環境を信頼するか
そういった、世界との向き合い方のことだと思う。
身体で
「預けても大丈夫」
「委ねても崩れない」
という感覚を知った人は、
人生でも、同じ選択ができるようになる。
- 休むことを許せる
- 頑張りすぎる前に立ち止まれる
- 孤独を抱えながら、人とつながれる
これは意識改革ではない。
身体感覚の更新だ。
運動は、人生を立て直す練習でもある
僕は、運動で人生を変えようとは思っていない。
ただ、
「正しく動かす」のではなく、
「正しく委ねられる身体」を育てたい。
そう思って、今日も指導に立っている。
姿勢を整えることは、
人生をちゃんと生きようとすることに、
とてもよく似ている。
踏ん張りすぎず、
逃げず、
預けられるところは預けて。
静かに、立つ。





コメントを残す