2025年1月9日
僕が初めてカポエイラに出会ったのは、2004年、ドイツに留学していた時のことです。ドイツ人の友人に誘われて、カポエイラサークルの体験会に足を運びました。その時、カポエイラを習っているという別のドイツ人男性を紹介され、彼と一緒にサークルの活動場所へ向かうことに。ところが、その場所はなんとも怪しげな「クラブ」でした。床はアルコールでベタベタしていて、僕は「大丈夫だろうか」と不安でいっぱいになりました。そんな中、19歳の東洋人である僕が、彼らのひっそりとした活動に突然参加することになったのです。
レッスンが始まりました。見よう見まねで動きを真似るものの、すべてが未知の動きで、うまくいかないことばかり。それでも、驚くことに最初の不安はすぐに消え去りました。その場にいた誰もが、見ず知らずの東洋人である僕に気さくに声をかけ、一緒に練習してくれたのです。その時の感動は、今でも鮮明に覚えています。「なんて清々しい人たちなんだ!」と。僕は一瞬で「カポエイラ」と「カポエイラを愛する人々」の虜になりました。
カポエイラは16世紀の植民地時代、ブラジルの奴隷たちが支配者の目を欺きながら格闘技を練習するために生み出したものだと言われています。彼らは戦うための動きを隠すために音楽を取り入れ、それを踊りのように見せかけました。その工夫がやがて、カポエイラを「肉体のアート」へと昇華させたのです。
一方、僕は小学生の頃、「バスケの神様」と称されるマイケル・ジョーダンに憧れ、バスケットボールを始めました。その純粋な気持ちを胸に進学したバスケの強豪高校で待っていたのは、冷酷な現実――
「レギュラーは神、補欠は奴隷」
という厳しい階級意識でした。その理不尽さに対する反発心が、僕の競技への情熱を根こそぎ奪ってしまいました。僕は純粋すぎたのかもしれません。当時、僕は1年生の頃から試合に出場する「神側」の立場にいながらも、「なにが神だ、こんなのクソくらえ」という思いを抱えていました。それを誰にも打ち明けられないまま、ついにはバスケそのものを辞めてしまいました。あの時、僕の心は「挫折という名の絶望」に覆われていました。
そんな僕が異国の地で出会ったのは、皮肉にも「奴隷」の抵抗手段として始まったカポエイラでした。そしてその瞬間から、僕の心は新たな希望とともに再び動き始めたのです。
(次回へ続きます)
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